async

坂本龍一さんの新しい作品「async」
タイトルのasyncを訳すと「非同期性」。
反意語は、asynchronous(同期性)。

「共感」「一体感」「思いやり」「感動」そんな言葉があふれる昨今、相手に同調させることを暗に強要する空気。

昔の言葉と思っていた「滅私奉公」、行動さえ滅私していれば心は守れると思っていた。
今は、心までも滅していかないと生きづらくなってしまっているのかもしれない。

集団・組織は、その存在・意義を維持・強化するベクトルを持つ。

「同期性」それは、集団・組織を維持・強化するための最もパワフルなキラーフレーズなのかもしれない。

純化、同質化、均一化を強力に求めるはたらき。

だれもが大きな流れにあがなうことはむずかしい。だからこそ受け入れ、あきらめ、なかったことにしていくことの方が簡単だ。

「多様性」
それがこれからの行き先を指し示す言葉だと思っていた。

先日、ある国に移住した人の話を聞いた。その国は、多民族国家で、民族だけでなく、宗教も、言語も、食文化も違うのだそう。
そこでは、日本人だからとか、そうでないからとかは重要ではないそう。
共通言語が上手くしゃべれるかどうかはそう大きなことではなく、伝えたいという意思が必要なのだそう。

目の前に超えがたい多様性があるからこそ、異質なものを認め、許していくことが可能なのだろうか。

先日、プロテスタントの方の宗教観についての話を聞いた。
プロテスタントの方に大切なのは、主イエスとの対話(内的な対話)であり、その反義は、立法なのだそう。
通常の生活観念と言われるものからはすこし外れたことをとりあつかった話題であったが。

目の前の人、目の前のことに注視していると、「〜すべき」「〜が当然(当たり前)」「〜が正しいい(正しくない)」といったことが思い浮かぶ。
「べき」「当然(当たり前)」「正しい(正しくない)」は、ある基準を設けて、そこに合致しないものを切り捨ててしまう。

目の前にある/なしは、わたしたちに大きく影響を及ぼす。
わたしたちは、反射的に行動してしまう。

それでも、一歩下がり、目に見えないもの、目に見えないものにこそ、その方に意識を向けることをしてみると、「多様性」や「認め」「許し」の先にある景色のようなものが見えてくるのかもしれない。

あなたにとって本当に大切なものは何だろう?

あなたにとって本当に大切なものを守るためにしなくてはならないことは何だろう?

そして、それを始めるあなたのはじめの一歩は?

超えること、つながること

多くの人にとっていいと思われている言葉。

壁、障害、境界、超えていきたいっていわれる対象ってあるけど、それって本当? 友だち、恋人、家族、仲間、同僚、上司、顧客、地域、社会、世界の人々、つながっていきたいっていわれる対象ってあるけど、それって本当?

超えること、つながること、これは誰もがいいと思い、肯定することで、これから進むべき方向性なのかもしれない。 けど、それって本当にそうなのだろうか。

自分のレベル以外で起きている、超えて、つながってくことのデメリットも見てみるといい。 国の枠組みを超えて広がっていく経済活動、それで何が起きた? ・・・格差の拡大。 拡大というスケールで語られないくらいのスーパーな拡大。 もう誰に求められないくらいの拡大。 それが、個人のレベルで起きるとしたら、どんな拡大となっていくのだろう?

ある方が言った、 「家って、屋根や壁があるから家なんだよね。」 という言葉。

自分が避けたいものを避けられる屋根や壁。 開けたい時に開けられて、閉めたい時に閉められる戸や窓。 それが家に必要な要素だと同じように、 自分自身にも必要な要素なんだと思う。

自分が知っている、安心できる場所とそうでない場所を区切るものなのかもしれない。

もし、 境界のない理想の<世界>があったとしたら、 自己開示、全てするのかどうか?

その方、「でも、、」と言葉をつないで、 「それでも、人に見せたくないところは見せたくない。」

うん。 極端なことかもしれないけど、 もし究極の安心・安全な<場>があったとしても、 全部をさらけ出すこと、ないのかもしれない。 だって、裸になれる?

究極に安心・安全な場<場>、、 それって、自分だけしかいない自分の部屋? それとも、自分の心の中?

こえたい つながりたい これを否定しているわけではないけれども、 「こえる」「つながる」こと しない方がいいこと、いいところ「も」ある っていうこと、気がついてもいきたい。

反省するって

子どもたちに話したことです。

ねぇみんな、

何か、悪いこと、うまくいかなかったことがあって、

反省するって、どんな気持ちになる?

と問いかけました。

すると、子どもたちは、

もうしませんという気持ち。

みたいな優等生な発言をしてくれました。

そこで、

ううん。違うんだ。

もっと 素直な気持ちを聞いてるの。

ほんとの気持ちは、やだな~。早く終わらないかなぁ。って思わない?!

と聞くと、

子どもたち、目をきらきらさせながら

そうそうと うなづいてくれました。

誰だって、ほんとはそうだもん。

で、

そんな気持ちになると、

みんなって、実は大人だってそうなんだけど、

いやなことって なかったことにしたくない?!

すると子どもたち、

また、うんうん。

で、さ、

そのあと、どうなると思う?!

子どもたち、???

なかったことにしたらば、また、悪いこと、うまくいかなったこと、繰り返すよね。

子どもたち、うんうん。

これを黒板に書いていきました。

悪いこと、うまくいかなかったこと → 反省、原因、理由を考える → いやな気持ち  → なかったことにしたい → なかったことにする(忘れる) → 始めにもどる

すると、子どもたち、

うわぁ~!また、繰り返すぅ~!!

同じ悪いこと、繰り返しちゃうって、こんな仕組みが心の中で働いていたからなんだ。

で、どうするといいだろう??

子どもたち、う~ん。

先生だったらね、

悪いことをしちゃったのは、もうしょうがないと思うんだ。

で、 大切なのは、やっぱり反省のところ。

次、どうすればいい?って考えてみたらどうかな?

子どもたち、あぁ~!!

そう! 次、どうすればいいって考えれば、

いやな気持ちにならないよね。

子どもたち、いい気持ちになる!

そうそう! いい気持ちになったら、どう?!

子どもたち、いいことやりたくなる!

そうそう!それが、先生の考える反省なんだ。

今までの反省だと、嫌な気持ちになる反省だったんだけど、これからは、次、どうしていったらいい?って考えていきたいんだ。

みんなもそうしていきたいと思わない? そうしていこうよ。

子どもたち、(*^^*)

そんな話をしました。

少しずつ、少しずつ、うまくいくように していきたいです。

蛹の時期

蛹の時期

動かない?

閉じこもってる?

ううん。そうなんじゃないんだよね。

わかってるよ。選んだんだよね。選んでるんだよね。そうなるように。

蛹の時期、それは何もしないで動いていないのではなくて、

中で人生最大くらいの変化をしている真っ最中。

すごく柔らかくて、すごく傷つきやすい真っ只中。

何もしてないのではない。

中で人生最大くらいの変化をしている時だからこそ、

外で行動的に見えるように振る舞う余裕なんてない。

精一杯、精一杯、準備をしているんだよね。

あと少し。

もう少し。

それまで、もう少し、待ってて。

もうちょっとしたら、これまで何だったの?!って思えるくらいに変わってるんだから。

そしてね、今のこの感覚、大切に感じようともしているんだよね。

それが、明日のやさしさにつながるはずだから。。

心の世紀

21世紀は心の世紀と言われているらしい。

でも、正直なところ、どこが?!って思う。

人々のライフスタイルも、もちろん思考も、 働き方も、 社会の仕組みも、 学校も、 国家の仕組みも、前世紀の遺物をずっと引きずったままじゃんって思う。

人類が数千年かけて、多くの犠牲の上につくり上げてきたシステムだから、そう簡単に手放せるわけではないのかもしれない。

でも、 少しずつ、新しい生き方、ものの考え方をする人たちが増えてきている、目につくようになってきている。

まだ、そんな人たちはマイノリティー。 他の人たちからしたら、異端者。 クレイジーと思われているのかもしれない。

公平・公正を謳うマスコミも、既得権益の確保のスタンスを取っていることに疑うことを知らない。

では、その先の求めるべきものは何?

その一つはワンネス、ホールネス、マインドフルネスといわれるものなのだと思う。
言葉こそ違えど、その求めるものは同じなのだと思う。

それぞれの言葉を使いながら、同じところへ行き着こうとしているのだと思う。
人が明確なゴールを設定し、追い求めていくためとすれば、ワンネスという言葉を使うのがいいのだと思う。

ワンネス自体は、スピリテュアルな用語として定着しつつある言葉であるため、偏見の目で見る人が多いという懸念があるが、それ以上の言葉を見いだせていない現状では最適と考える。

ワンネス、 今までいろいろ別なものと考えていたものやこと、 実はそれは、全て一つでつながっていた。
あれやこれやと別々のことのように、 ばらばらに思考して、 言い訳、理由をいつも考えて、 かけがえのない自分の時間やエネルギーを切り売りしてた。
ワンネス、一つ、というのは、 自分の心のこと、心の目のこと、心の奥、心の深い部分のこと。

そこに、矛盾のない生き方をしていくことが どれだけ大切なことなのかということ、なんだと思う。

やっぱりこう書くと、 スピリチュアルって思うかもしれないけど、
たとえば 嫌な予感、とか、 心の奥のざわざわ感だとか、 自分の直感だとか、 わくわく感だとか、 心の奥の部分からの、シグナル、大切な声だと思うと あながち、誰もが否定するものではないのだと思う。

わくわくを押し殺して何かをした時、 それって、うまくいったとしても本当によろこべるものになっているのだろうか? 心がざわざわすることに何か理由をつけてやったとして、 それがたとえ上手くいったとして、 心からよろこべるだろうか?
答えはNOなのだと思う。
たぶん、いつもは、そんな小さな心の奥からの声を無視して生きてはいても あるかないかと問われたら、 例をあげたら、 誰もがきりがないはず。
そんなことを、これから誰にでもわかりやすく、伝えていくことができたら、これからの僕なりのチャレンジ。
直球の時もあり 何かのたとえに紛れさすこともあり、
自分が、 そして自分の周りの人が そして自分を必要としてくれている人が 幸せで、笑顔あふれる一日一日を送っていってくれるよう 伝えられたら…と思っている。

うれしかったこと

久しぶりに学級担任になりました。

昨年度まで4年間、教務として、5年生の理科の授業や3年生のお習字などを教えていました。

先日、5年生のときに理科の授業をしていた6年生の子どもたちと廊下で会ったときに、雑談をして、終わり際に、ある男の子から、何気なく
「先生、前のままでいてね。」
と言われました。

ほんと、それだけのことだったのですが、どんな意味だったのだろう?と思わせられました。
去年の理科の授業、かちっとした授業ではなかったのかもしれません。

一番大切に思っていたのは、理科が好き、理科っておもしろそうって思えるような授業。
子どもたちの稚拙かもしれないけど、素直な疑問や興味を言語化させ、引き出しながら、授業をしてきました。

そんな、子どもたちの心を大切にしていたことが、子どもたちに伝わっていたのでしょうか。

そして、担任になっても、あれやこれやの縛りにとらわれて、去年の理科で子どもたちに伝えてきたことを忘れてしまわないでほしい…そんな思いが、あの一言に込められていたのかな?と思えました。
(なんとまぁ、お気楽な思考なのかもしれませんが…)
でも、もしそんなのだったら うれしいな と思たひと時でした。

再出発

ひょんなことから、これまでのデータがなぜか飛んでしまいました。

で、
ブログタイトルはそのままですが、気分を一新して、新しくつくりかえてみました。

方向性は、サブタイトルにあるように、読んでくださる みなさんが 少しでも
日常生活の忙しさで なんだか 気がつかないうちに こわばってしまっていた こころが ほっと、かるくなるような、
こころが わくわくする方に向かって 自然と 身体がうごきだすような、
そんなサイトをめざしていこうと思っています。

書く方も、リラックスして のんびりと たいせつと 思えること 書いていければと思っています。

どうぞ、末長く お付き合いしていただければと思います。